自分を責めてばかりいた私の感覚が、キャラクター作りによって少し変化した話。
悲劇のヒロイン思考
私は長年、生きづらさを感じている。
生きる意味を見出せなかったり、何がやりたいのか分からなかったりする。
ネットや書籍には、生きづらさの原因や解決方法がごまんと溢れている。
それらを自分なりに調べては試し、を繰り返してきた。
その過程で、自分の行動を阻害する「サボタージュ」の存在や、辛い現実を作り出しているのは自分自身だという考えもあることを知った。
(スピリチュアルっぽい話にも聞こえるが、心理学でも示されている)
それを踏まえて考えると、私は「悲劇のヒロイン思考」が強いのではないかと思うようになった。
自分が幸せになるには、まず不幸でなければならない——そんな思い込みがあるように感じた。
先日、ある人にコーチングを受けた際、この「悲劇のヒロイン思考」について話してみた。
するとコーチはこう指摘した。
「その『悲劇のヒロイン思考』をしている自分を、ダメだと思っているのではないか?」
そのときはあまり腑に落ちなかったが、その日から自分の感情を意識的に観察するよう努めた。
すると徐々に気づいてきた。
私は「この思考のせいで苦しんでいる」「なぜこんな思いをさせるんだ」と、自分自身に苛立ちを感じていたのだ。
キャラ作りで変化した自分への感覚
自分への苛立ちに気づいたからといって、すぐにその感情が消えるわけではなかった。
むしろ、「こんなに私を苦しめているのに、それを良しとできるわけがない」「不幸が幸せにつながると思っているなんて、なんてアホなんだ」「お前のせいで人生がうまくいかないまま、こんな年齢になってしまった」と、苛立ちは募るばかりだった。
そんな中、先日のブログでも紹介した、自分をデフォルメしたキャラクターのアニメ制作に取り組んだときのこと。
その日は自分をデフォルメしたキャラクターを作り、いくつかの表情をさせてみた。
普通の表情、にっこりとした笑顔、そして最後にとても嬉しそうな笑顔。
初めてにしては、なかなかの出来だった。
その日の夜、ぼーっとしていると、ふと先ほど作ったキャラクターが頭に浮かんだ。
とっても嬉しくて楽しそうな笑顔。
その瞬間、不意にそのキャラクターと自分が重なった。
「可愛い」と思った。「愛おしい」とまで思った。
そして、「こんなに愛おしい自分を、自分が傷つけるわけがない」と思った。
これまで、自分は一生懸命、自分のために頑張ってきたんだと感じた。
涙が出た。
しばらくして気持ちが落ち着くと、今まで感じていた苛立ちが不思議となくなっていた。
微かではあるが、「最終的に自分が自分を幸せにしてくれる」という、根拠のない安心感も芽生えていた。
生きづらさからの解放を目指して
この一連の感覚は、文字で読むだけでは伝わりにくいと思う。
私もかつて他の人が語る「自分を受け入れる感覚」を見聞きしては、「そんなこと、どうやったらできるんだよ」と苛立っていた。
ただ、分からないなりに試行錯誤を続けた。
自分の感情を観察したり、新たな情報を取り入れたりしたことで、今回のような体験ができたのだと思う。
まだ生きづらさから解放されたわけではない。
焦燥感や罪悪感を抱えながら日々を過ごしている。
それでも、この体験を頼りに、もう少し諦めずに進んでみようと思う。
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