現在世間を賑わせている芸能スキャンダルに対して湧き上がる自分の感情について整理してみたいと思う。
スキャンダルに湧き上がってきた感情
ここ最近、人気女優と俳優の不倫疑惑で世間が賑わっている。
二人のやり取りとされるLINEも流出し、「さすがにこれは捏造では?」「本当ならプライバシーの侵害では?」とにわかには信じ難いような内容も出回っているが、真偽を問わずネット上は大盛り上がりである。
以前までの、「社会的な正しさ」や「自分の理想」に自分を当てはめようとしていた私だったら、自分自身にまで「そんな話に興味ないわ」というふりをしたり、「こんな本当かもわからない、他人のことでなんでそこまで騒げるんだろうと」世間に呆れたふりをしていたと思う。
が、今はこのスキャンダルが面白くて気持ちよくてたまらない。
隙あらば、もっと情報が出ていないか、二人の状況がどうなっているか、ワクワクとした気持ちでネットを漁っている。
シャーデンフロイデ
このような「他人の不幸や失敗を見て感じる喜び」の感情を表す「シャーデンフロイデ」という単語がドイツ語にはある。
一語で、複雑なこの感情を表現することができるのだ。言葉として存在していること自体が、この感情が普遍的な人間の感情であることを示している。
感情を受け入れる
以前の私であれば、こうした感情を抱くこと自体ダメだと思い、話題から距離を置いていたと思う。
だが、今はシャーデンフロイデを感じている自分を、ある程度受け入れられている。
その理由は大きく二つある。
一つは、「ネガティブな感情も、自分にとって必要なものだ」と考えるようになったこと。
特に、ネガティブな感情の中には、自分の本当の望みや満たされていない欲求が隠れているという視点を持てるようになった。
(先日書いた潜在意識に関する情報の影響である。)
もう一つは、「ルサンチマン」という概念を知ったためだ。
これはニーチェが提唱した言葉で、「弱者が強者に対して内面に抱く、憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情のことだそうだ。
詳しくは私がそれを知るきっかけとなった下記の動画が分かりやすいと思う。
(なかなかお下品だが、分かりやすくて個人的には面白かった)
要は「いつの時代も、どんな国でも」このような感情を人間が抱いていたことを知り、一見よくなさそうな感情も人間として極めて普通の感情なのだと、安心したのである。
当たり前のことのようだが、以前の私は、その人間として当たり前の感情をダメなものだとみなし、押し込めようとしていたのだ。
しんどいはずである。
当事者や関係者の気持ちを想像すれば、軽々しく面白がるわけにはいかない。
ただ、それでも私にとっては自分の成長を意識できるいい機会となった。
(多分今までの自分だったらこの一文に罪悪感を覚えていた)
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